官治国家、官主主義か。

ーー以下全部引用ーー

草薙厚子さんが闘った「検察の不正義」
http://playlog.jp/atsukokusanagi/blog/2010-02-04

明治学院大学 名誉教授 原田勝弘先生のコラムから(2010年1月29日)

草薙厚子さんは、2006年に奈良県の当時高校1年の少年が自宅を放火
し、一家3人が焼死した事件をとりあげ、その少年の特異な内面や行動
特性に光をあてることで『僕はパパを殺すことに決めた』(以下は
『僕パパ』と略します)という著作を出版(2007年)しました。

 この『僕パパ』を執筆するにあたり当少年を内側から分析する上で、
草薙さんの主に用いた第一次データ(primary data)が、監察医に
よる少年の「供述調書」(以下、「調書」と略します)でした。

 草薙さんがこの「調書」を重視し、重用したのは、第一にこれが
少年事件であるため審判が非公開となり、少年の内部に起きた問題
状況を通常の取材によって明らかにするには限界があり、事件の真相
に迫るには「調書」のなかで語られている少年の「肉声」こそが重要
な第一次データになると考えられたからです。

 第二には、この事件の特質が家族内で起こった少年事件であったが
ために、父親が振るっていた暴力など家族の内情を少年がどのように
受け止め、いかに語ろうとしていたのか、という当事者の
「主観的現実」を先ず明らかにすることが重要です。そのためにも
「調書」は必要とされる第一次データであるとしたのです。

 第三は、草薙さんのジャーナリストとしての基本的なスタンスに
かかわることなのですが、この少年事件が非公開の審判で裁かれた
末に、確かな情報もしらされないまま闇に葬られてしまうことに
つよい抵抗感をもち、さらには亡くなった継母の両親が「真実を
伝えてほしい」と語ったことばに促されて、上記の第一次データ
である「調書」に焦点を絞りながら『僕パパ』を書きあげたのです。
多発する少年事件の抑止、防止のためにもこの事件の真相に迫る
ことが社会的正義に叶うものだと考えたのです。

 問題はこの「調書」が『僕パパ』のなかで少年を分析する際に
重要な資料として使用され、引用されていることに対して、検察側
が関係者の内部で保秘されるべき「調書」を外部に漏らした事件
として立件したことから始まります。秘密漏示罪、つまり医師や
弁護士らが業務で知った個人情報を理由なく漏らす罪で、調書を
作成した鑑定医が捜査の対象になり、同時にその調書を不当に入手
した疑いで草薙さんも捜査される立場になるのです。
 
 さてこの50日にわたる捜査で、草薙さんに加えられる検察側の
容赦のない理不尽な取り調べはどのように行われたのか、これに
対して、彼女がいかにしてそれに耐え、さらにどのような反撃に転
じたのでしょうか。それらのことを彼女は「取り調べ」の最中でも
その模様を丹念に記録したメモをもとにあますことなく明らかにした
記録が、『検察との「50日間闘争」いったい誰を幸せにする捜査
なのですか』(光文社)という本(以下『50日間闘争』と略します)
でした。

 いまあらためてこの本を読み直してみると前回のコラムでのべた
「三井事件」や現在進行する「小沢事件」とも通底する重要な
共通項が浮かび上がってきます。

 それは、検察がある予断をもって事件のシナリオをねつ造し、
その正当性を主張し、世論形成をすすめるためにメディアに対して
大量の情報リークを行うというパターンなのです。本来ならば
司法上のいかなる“疑い”も裁判での最終判決が下されるまでは
推定無罪」の原則に立つことが大事なのです。しかし、その
裁判によって裁かれるはずの被疑者の罪が、実は検察が起訴する
前後の段階ですでに限りなく黒い“悪者”に染め上げられている
という司法の現実があります。

 この「虚偽のリーク」のなかでももっとも悪質だったのは、
2007年9月22日(土)の朝、NHKニュースで流されたとんでもない
誤報」でした。それは次のようなものでした。

   奈良県で自宅に放火して母親らを死亡させた少年の供述
   調書がこの事件を扱った本に記された問題で、本を執筆
   したフリージャーナリストが、奈良地方検察庁の事情聴
   取に、少年の精神鑑定を担当した医師に頼んで調書の写
   しを見せてもらったと話していることが新たにわかりま
   した(中略)。

   草薙さんが事情聴取に対して「医師に『供述調書を見せ
   てほしい』と頼み、写しを見せてもらった」と話してい
   ることが新たにわかりました。奈良地検は、草薙さんか
   ら頼まれた医師が調書の写しを渡すなど職務上知りえた
   情報を漏らした疑いが強まったとして捜査を進めていま
   す」※1)

 これに対して草薙さんは、そのニュース内容が全くの虚偽であるとして
次のように書いています。

   ・・・問題なのは「草薙さんが話している」という部分だ。
   そして午前7時30分のからの関西ローカルのNHKニュース
   でも、同じ内容が放送された。私は9月14日から始まった
   捜査に対して、任意で出頭し、できる限りの協力をして
   きたつもりだ。事情聴取の際、口が裂けても言えないもの
   として守ってきたもの、それは「取材源の秘匿とその属性
   の秘匿」だ。

   それなのにNHKは私に直接取材しないで、裏を取っていない
   虚偽のニュースを流した。前日には読売新聞に虚偽の
   ニュースを掲載され、この日は公共放送である天下のNHK
   にも事実と異なる虚偽の報道をされ、私は四面楚歌の気分
   を味わった。

   どんどん情報操作が行われ、私に対するイメージが固めら
   れていく。今回のように事実とは異なった情報が流れるこ
   とによって被疑者がシナリオ通りに演じさせられていく
   ケースは予想以上に多いのではないだろうか。※2)

 以上のように被疑者になると、まだ逮捕も起訴もされていない事情
聴取の段階で、取り調べの内容が検察側からマスコミに流されている
という現実があります。さらに問題なのは、その間に虚偽のリークが
なされ、その情報を被疑者側の取材もしないまま記事にしてしまう、
という現実があるのです。

 草薙さんは、こうした「現実」を検察との「50日間闘争」のなかで
まさに身をもって体験してきたのです。

 このように草薙さんが自らの体験によって明らかにしようとした
検察捜査の問題点の中で、私がとりわけて注目している重要な
ポイントは、「被疑者がシナリオ通りに演じさせられていく」
という戦略です。先ずは被疑者を起訴に追い込むための「シナリオ」
をつくり、そのシナリオに合致する供述や傍証だけを収集して
シナリオに見合う「もうひとつの現実」がかためられていくのです。

 検察にとって都合のよい情報のリークが、あたかも戦時中の軍部
による「大本営発表」のように流され、それをマスメディア側は
裏も取らないまま記事にしていくというプロセスに「情報操作の
装置」が埋め込まれ、構造化されているのです。検察にとって
望ましい「もうひとつの現実」はこのような強引で一方的とも
いえる「情報操作」によって成り立っていることを、草薙さんの
『50日間闘争』は明らかにしています。

 検察の捜査に潜むもうひとつの問題点は、捜査の初動の段階で
すでに起訴に向けてのシナリオづくりが行われ、捜査はその
シナリオに即して進められていくことです。危険なことはそれが
予断に満ちた虚偽の推測に基づいていても、先ほどのように
「被疑者はシナリオ通りに演じさせられていく」のです。

 こうした捜査のシナリオは、草薙さんのケースでみると検察に
届けられた一枚のブラックメールからはじまっています。

 そのブラックメールには次のような内容が記されていました。

    音羽病院、崎濱盛三先生にかんして院内調査お願いします。
    ご存知かとおもいますが、先生は奈良少年事件において、
    精神鑑定されました。その際、鑑定医として知り得た捜査
    資料を、十一元三(京都大学医学部保健学科)教授と不倫
    関係にあると噂されているジャーナリスト草薙厚子氏に教
    え、見返りとして金銭を受け取った疑いがもたれておりま
    す。院内調査してください。精神医として学会で議題に挙
    げさせてもらいます。※3)

 これまでの検察捜査のシナリオの多くがそうであったように、
その主要なモチーフは“お金”と“情”(男女関係)が絡んできます。
草薙さんを捜査するシナリオもまた絵に描いたように不倫と金銭が
とりこまれ、これを前提とする強制捜査と50日間の事情聴取が行われ
ていくのです。

 草薙さんの自宅への強制捜査は、何の通知もなく早朝の寝込みを
襲うかたちで強行され、修羅場のように家じゅうを荒らしまわった
うえ、パソコン3台や携帯など日々の仕事に必要なものをふくめて
押収リストは86点、段ボール箱にして80箱弱のものが持ち去ら
れました。その日の早朝、本人たちには知らされていなかったのに、
マスコミの記者やカメラマンはすでに自宅の前に待機しており、
新聞の朝刊にも強制捜査のニュースが掲載されていたのは、
検察情報があらかじめリークされていたからです。

 強制捜査は、崎浜鑑定医と十一教授にも行われました。そして
当事者3人への厳しい事情聴取の日々がつづくのです。事情聴取は
当事者だけでなく、
周辺に居る関係者にまでおよびます。草薙さんの夫も聴取をもとめ
られ、「どのような夫婦関係なのか」、「なぜ子どもをつくらない
のか」などの下世話で卑劣な質問をしているが、それは当事者の
“情”(不倫)を念頭にしているからだと思います。

 以上のような強制調査や事情聴取にも拘わらず、その結果として
草薙さんをめぐって情とお金が介在するという事実はどこからも
発見されず、ブラックメールとそれに基づく検察のシナリオも
虚偽として完全に否定されるのです。

 わたしたちは、草薙さんのこの『50日間の闘争』を読むことで
福島県知事汚職事件」や「三井事件」、そして現在進行している
「小沢事件」とも通底する重要な共通項が浮かび上がってくる事実
を知ることになります。

 草薙さんは、自らの著書のあとがきで次のように書いています。

   検察からの虚偽のリークがほとんどだった新聞、テレビの
   報道に関しては、同じマスコミ人として、とても残念に思
   う。当事者の取材をせずに、あたかも事実のように報道し、
   当初は虚偽情報の洪水状態にあった。その汚名を晴らすた
   めに、この本で、検察の取り調べの実態や、捜査の背後に
   は何があったのかを明らかにし、読者が公正に判断するた
   めの判断材料を提供した次第である。

   「(供述調書のような)秘密情報を漏らすな」と言うのな
   らば、それ以前に国民の利益になる情報、国民の知るべき
   情報が確実に開示されていなければならないと思う。※4)
 
 わたしは当初、草薙さんのこの本のタイトルで『いったい誰を幸せ
にする捜査なのですか』という問いのかたちを少々感性的ないし感傷
的な意味合いに受け取っていましたが、いくつかの事件の成り行きや
今向き合っている“現実”をふまえながら、あらためて読み直して
みると、実は原理的な法制度にゆきつくもっと深い問題が隠されて
いる究極の問いだと思うようになりました。

 それは、アンシャンレジーム(旧体制=守旧派)の象徴でもある
法務省の「省益」、検察庁の「庁益」といった自らの権力と利権を
再生産する官僚組織の防衛に帰着する明治以来の近代日本を基底で
支えてきた「官治主義」(あるいは「官主主義」)から、わたしたちは
まだ完全には脱却できていないという古くて新しい問題です。

 戦後になって手に入れたと思っていた主権在民の「民主主義」は、
ほんとうのところはまだ未成熟の借り物にすぎないことは、選挙に
よって選ばれた政党が、国民から選ばれてもいない検察の権力に
よって追い込まれているという「官主主義」的な問題状況をみれば
一目瞭然です。

 かって筑紫哲也は亡くなる直前に次のような印象的なことばを
残しています。

    わたしたちの社会は民主主義によって治められている
    「民治」国家といわれていますが、政治や司法を中心
    に実質的には高級官僚によって治められている「官治
    (官主)」国家なのです。それが証拠には(自民党政権
    の時代を通じて)立法の議案から首相や大臣の演説ま
    で“官僚主導”で作られているからです。実はわたしたち
    の“不幸”は、こうした影の支配者である高級官僚
    を選ぶことができない点にあります。※5)

 この筑紫哲也の遺言のようなことばを念頭に入れながら、
あらためて「いったい誰を幸せにする捜査なのですか」という
草薙厚子さんの問いに向き合うべきだと思います。


なお、筑紫哲也のことがでてきたので、最後にここでぜひとも
言っておきたいことがあります。それは、もしいま筑紫哲也
生きていたら、現下の「小沢問題」をめぐる検察の情報リーク
とマスコミの「金太郎飴」のような大本営的報道ぶりをいかに
評価し、どのように論じていたでしょうか。

 彼のジャーナリストとしての真骨頂は、メディア報道のなに
よりも優先すべき指針である「権力を監視するウオッチドッグ
watch-dog)」の役割を実践してきたことです。その意味では、
何か公権力が介入する事件が起きた時に、彼はそれに対して
どのような報道スタンスで対応するのかをめぐって多くの
メディア人が注目する「羅針盤的存在」だったのです。

彼は「ニュース23」でその多彩な人脈による討論を交えた
特集番組をしばしば企画してとても面白かったが、とくに政治
(選挙など)の季節になると田勢康弘(日経)や岸井成格(毎日)
そして立花隆など常連のジャーナリスト、知識人が登場して、
筑紫と波長を合わせるような論調が展開されていました。

 しかし、筑紫なきあとの報道番組やワイドショーのなかに
登場する彼らの言動から、検察とタッグを組んで「小沢批判」
ばかりのマスコミ論調に寄り添う従順な飼い犬(ウオッチドッグ
ではない)になりさがっている姿を見せられると驚きを通り越して
情けなくなります。

 とりわけて立花隆のジャーナリストとしての“堕落”には
目をおおうものがあります。彼の文春などのメディアで展開して
いる何十年も前の“田中角栄金権批判”と同工異曲のアナクロ
で底の浅い「小沢追放論」をみると、無残にも彼の化けの皮が
はがれてきたかと思います。彼には、小沢一郎を追放すること
で結果としてアンシャンレジュームとしての「官治政治」の側
に加担することになるという状況認識が欠落しているのです。

 このように書くと、わたしはいかにも小沢一郎の支持者のよう
に受け取られるかもしれないが、そうではありません。小沢という
人物を好きか嫌いかで言えば好きとは言えません(政治家を好きか
嫌いかで論じるべきではないのですが)。小沢という政治家は、
決して「清潔」な政治家であるとはいえないけれども、
政治家は「清潔」でありさえすればいいわけでもないのです。

 むしろ「清潔」とはいえないけれど、現状に横たわる問題に
取り組む「能力」と「膂力」と「実績」があると考えられるの
なら、わたしはその政治家が決して「清潔」ではないにも拘わらず、
何か新しくやろうとしている政見の中味を問うことによって
その人を支持するかもしれません。小沢一郎は、まさにそのような
タイプの政治家なのです。

 でも、小沢はいまや日本社会におけるピカレスク(悪漢小説)の
唯一無比の“悪漢”モデルになっています。まるでキム・ジョンイル
やオサマ・ビンラディンアフマディネジャドのように。

 しかし、小沢一郎という政治家がどういう人物であるかどうかは、
この際問題ではないのです。

 真の問題は、標的になる人物が誰であれ、そのひとを検察という
公権力(捜査権と公訴権の双方を有するのは、米国の司法長官に
匹敵する存在であり、検察という一つの官僚機構がそうした司法
権力を独占的に保持している国は、民主国家としては韓国と日本
だけです)が大マスコミと手を組んで「悪漢」に染め上げ、
やがて「排除」しようとする司法検察のありかたそのものにある
のです。

 わたしたちは、主権在民の「民治社会」をより成熟したものに
するためにも、こうした検察の独善的なやりかたにきっぱりと異議
申し立てをするべきだと思います。そして、近い将来に検察庁
はじめとする明治以降の官僚制度の抜本的な改革(人事院の廃止も
含めて)がなされることを願うばかりです。


※1)草薙厚子『検察との「50日間闘争」いったい誰を幸せに
   する捜査なのですか』(光文社)、114頁。
   なお、草薙さんはNHKがこの時に放送した「誤報報道」
   に対して強く抗議し、NHK側を相手取り公訴中です。
※2)前掲書、115−116頁
※3)前掲書、286頁
※4)前掲書、291−292頁
※5)TBSの「NEWS23」のキャスターであった筑紫哲也
   さんが、ガンで入院中の病院を一時抜け出してニュースに
   出演した時に語った言葉であると記憶しています。その時
   筑紫が語った言葉として括弧にくくっている文章は、彼が
   言わんとしていたメッセージの趣旨をあくまでも忠実にま
   とめようとしたものですが、その言葉を正確に再現したも
   のではありません。この時のニュース番組をビデオで収録
   していたのですが、その映像記録は現在紛失していて残念
   ながら参照資料とすることができないのです。いま探索中
   ですので後日見つかり次第、このコラムの記事で紹介し、
   訂正すべき点があれば報告したいと思います。なおまた、
   無駄になるかもしれませんが、後日にTBSの報道部に問
   い合わせて当該映像記録にアクセスできるかどうか、その
   可能性についても調べてみたいと考えています。


追記;95歳の介護中の老母が、1月11日に誤嚥性肺炎で
市内の病院に入院しましたが、23日の午後ひとまず退院し
ました。その後、自宅で発熱を繰り返し、再入院を考えるなど
不安定な状態のつづく日々でした。今回はそのような事情から、
草薙さんの『50日間闘争』に関する記事を事前に予告していた
にも拘わらず、そのコラムをUPするのがかなり遅くなってし
まいました。